世の中は変化の連続です。
「変化を味方とせよ」の前提としては、変化は避けれられないもので、私たちが生きている間ずっと変化します。一日一日、目に見えないかもしれませんが年を取っています。そう考えると、変化というものは必ずあるもので、変化は避けられないことだと腹をくくることです。必ず変化します。
変化というのは、良い変化(望ましい変化)もあるのですが、悪い変化(望ましくない変化)もあります。
この比率は3対7で良い変化が悪い変化の約半分です。
良い変化が30あったら、その代わり3対7でやや悪い変化があると準備するのです。
悪い変化に心を煩わせたり落ち込んだりしていたら、埒があきません。
そこで第1原則の「自立せよ」なのです。
変化はあるものだと、そして心の準備として良い変化が30%もあればいいじゃないかと。7割は悪い変化といっても、望み通りではないというだけのことなので、普通の変化もあるわけです。
心の準備として良くない変化が7割位あっても、それをうまくやり過ごすか、場合によっては上手に活用することもできます。「ピンチはチャンス」ですね。
変化に心がいちいち影響を受けていたらそれは「自立している」とは言えません。これもある意味、他人依存の精神メンタルとなってしまいます。
良い変化は喜ぶ、悪い変化は悲しむ、という風に単純に考えてしまってはつらいです。もちろん、良い変化はほどほどに喜びながらも悪い変化は逆にチャンスと思って頭を切り替えることです。感情的に反応しないということです。
季節も必ずめぐり、春夏秋冬と必ず変化します。
冬の次は春、春の次は夏、夏の次は収穫の秋、そして収穫をしたら土地は少し疲れていますから冬の間は何もしないで休息、養生します。
この養生の期間無くしてずっと成長ばかりしようとしても無理です。
必ず人生あるいは世の中というものは、一旦休息が必要です。休息して栄養を蓄えてまた春の種まき、春から夏の育成へと続きます。
冬は養生、春は種蒔き、夏は育成、秋は収穫と循環サイクルがあります。
ポイントは、循環サイクルのどこにあるか?をきっちり掴むことです。
春には春のやることがあるのです。夏には夏のやることがあるのです。秋には秋のやることがあるのです。冬は休憩する時なのです。冬に種を蒔いてはいけないのです。
もう一つ、変化というものは「易経」という中国の古典で言っている話です。
「吉凶悔吝(きっきょうかいりん)」といいます。
吉凶の「吉」は大吉の吉で良いことです。「凶」は良くないこと、好ましくないことです。
そして「悔(かい)」というのは後悔の悔、悔いる、後悔するの悔ですね。自分の行動を悔い改めて、そして謙虚に努力するということです。実は良い意味なのです。
最後の「吝(りん)」という言葉はあまり見慣れませんね。吝嗇(りんしょく)という言葉があり、吝は惜しむとかケチるとかサボるという意味です。けちけちする、努力を惜しんでしまうということだと思ってください。
吝という意識が社長の心の中に出てきて努力を惜しむ、天狗になってしまうこともあります。
ちょっと事業がうまくいって天狗になってしまうと、努力するとか謙虚に自分を見つめ直すという態度を惜しむ、けちってしまいがちですね。謙虚になるという態度をけちるのです。それを怠ることを吝といいます。
そうすると物事はだんだん「吉」から「凶」へと移ってしまいます。
凶になってみて、やばいと思うことを「悔」と言います。
ヤバいと思って何もしないとまずいわけです。
ヤバいと思ったら後悔して、そして次に行動します。
後悔するだけではなく、そのあと行動につなげます。
現状を突破するような解決策が見つかるはずです。
色々と行動します。そして「吉凶悔吝」の凶から悔、後悔を経て色々行動することによって、吉という良い状態に戻るのです。
「吉」「 吝 」「凶」「悔」この順番でものごとは回るということを知っておいてください。これは中国の易経という古典に出ています。
後は易経の世界で行くと、「陰陽」(「陰」というのは影、暗い方、「陽」というのは太陽の陽)「影」と「陽」の循環があります。明るい面と暗い面が交互にやってくる、昼と夜は交互にやってきます。そして、夜明け前が一番暗いと言われます。
そういった昼と夜の循環、明るいところと暗いところの循環、夏と冬の循環、吉と凶の循環のように、必ずものごとは順番にやってきます。
上がったり下がったりする変化にいちいち感情的に反応しない。過剰反応せずに今自分はどういう変化の状態にあるのかそれを踏まえて最善の手を打ちます。
このような意味での変化を味方にせよというのは、社長やコンサルタントにとってすごく大事です。
今どういう変化の状況か、変化に流されていないか、変化に翻弄されていないか、そういう時に一歩引いた立場から観ることを行動原則としたいです。
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